第五回



 

 浜崎けい子という女優がいる。宮崎市の劇団「二人の会」の主宰者。久しぶりに電話があった。
「こんどさ、芝居やるんだけど見に来れない?」
「その日は忙しいんだけど…。どんな芝居なの?」
「おばあさんシリーズ。すっごくおもしろいよ。何とかして来てよ」
「本当におもしろいんだろうね。ゼッタイだね。わかった、行くよ」
そんな会話を交わしながらも少し疑っていた。私には彼女の舞台は“重い”というイメージがある。彼女が東京から宮崎に帰ってきて間もない頃に見た作品がそうだった。
まあ、行ってみるか。ゴールデンウイークで渋滞する国道を約二時間、いらいらしながら車を走らせた。 宮崎県高鍋町の「野の花館」。高千穂町土呂久にあった百二十年の歴史のある民家を移築して、劇場としてよみがえらせた。
そこで浜崎けい子は九十歳の年寄りになっていた。共演の木内里美(栃木県在住の女優)は八十歳の役。木内が脚本を書き、浜崎が構成したオリジナルの「おばあさんシリーズ」第四弾「昼の月 夜の月」だ。
野の花館は、舞台と客席の境どころか、劇場と野外の区別すらない。太い梁(はり)が頭上を走り、柱や壁も歴史を刻んで黒光りしている。
ゆっくりと日が暮れ、夜の帳(とばり)がおりていく。畳敷きの客席に座った観客は、冷たくなってきた空気にさらされ、周囲の田んぼから聞こえてくるカエルの声を聞きながら二人の芝居を見つめる。
卓袱台を挟んで、とめどなく続くホラ話、荒唐無稽の夢語り…。それでいてロマンチックで味わい深い。
役者たちは日常の息づかいを聞かせ、観客を非日常の世界へと誘い込む。時が穴蔵の中に落ち込んだような…子供のころに戻り、親戚 の年寄りたちの延々と続く話を柱に寄り掛かって聞くとはなしに聞いていてるような…そんな錯覚に陥った。
浜崎けい子は、優れた共演者を得て、野の花館という日常性と非日常性の境のあいまいな劇場空間と“共演”することにより、懐かしくも妖しい異次元世界を形づくっていた。 見てよかった、と思った。

  私は十五年前、浜崎けい子が夫・辰夫と「二人の会」を旗揚げした直後にに出会っている。彼女は東京の劇団に十七年間在籍。辰夫は同じ劇団員だった。
辰夫は魅力に満ちた人だった。太くてよく通る声、柔らかい眼差しの奥には鋭い光をたたえている。私は会った途端引き付けられてしまった。
その時、彼は胃がんに侵されていた。旗揚げからわずか一年後、辰夫は亡くなる。残されたけい子は一人で「二人の会」を続けた。
私は仲間と一緒に彼女の公演を主催したことがある。しかし、あの頃の浜崎けい子は辰夫の遺志にとらわれていたのか、気負いがあり過ぎた。いつの間にか私は彼女の芝居から遠ざかっていた。
久しぶりに見た女優・浜崎けい子の舞台、それは私にとって新鮮だった。「自分がこんなに自由に演じられるとは思わなかった」と語っている通 り、自分の持ち味をフルに生かし、のびのびと演じているのだ。
二年前、夫と同じ胃がんに侵され、胃をすべて摘出するというつらい経験が芝居に生命力を与えたのか。
女優・浜崎けい子は今、転換期なんだろうか。私は問い掛けてみた。

 そう、転換期かもしれない。小さくてもいいから、とにかく自分が納得できて、お客さんの一人でも二人でも満足してもらえればいい、と考えるようになってきた。
東京から帰ってきた時、浜ちゃん(浜崎辰夫)と 「いい芝居をやれば、お客は絶対に増える。裾野は広がっていくだろう」って話していた。でも、私の中に現実からズレている部分があったんだと思う。
こんなに一生懸命にやっているのに…というジレンマがあった。世界でも通 用する踊り手、ギター奏者、歌手を連れてきてフラメンコの企画をやった時は、舞台そのものはとても良かったんだけれど、大きなことをやり過ぎていた。
あれから変わり始めたかな。 大きな企画だとお金がかかるじゃない。
実行委員会を作ってもらって、みんなでチケットを売らなくちゃいけない。動いてもらうためのエネルギーを相当使うから、私の役者としての部分を十分に練り上げて舞台にかける、というところまでは行けなかった。最後の三回目の舞台は泣きたいくらい。
もっと、ちゃんとやればよかった、という思いが残った。疲弊して、自分が納得できなくなっちゃって…こんなことはもうやめようと思った。
三十年近くこの仕事をしていると、お客さんの反応はその場の空気で分かるのよ。
帰る時に心から「良かったですよ」と言っているか、そうでないかぐらい分かるの。
今は、お客さんが少なくても、心から「良かった」と言ってくれるような芝居づくりをしたいね。作品というのはお客と一緒につくるものだとつくづく思ったの が「花いちもんめ」。中国残留孤児の母親の半生を描いた一人芝居で、戦後五十年の年から毎年上演している。最初の頃は自分自身がピンときていなかった。
ところが、お客さんの反応がすごかった。「あの時の舞台が忘れられない」と言う人もいて、見た人は必ず感動してもらえるみたい。こんないい作品だったんだと、お客さんから作品の良さを教えてもらった。
あの中で「お国がしでかした、大きな不始末」というセリフが出てくるけれど、昭和二十年の終戦の一ケ月前に生まれた私が、戦地や空襲で死に、苦しめられた 人たちの思いをどれだけ伝えることができるのか不安だった。でも、役者として戦争の悲惨さや罪を若い人に伝えていきたいと思った。
続けることが大切だと思う。それは自分のためにやる、ということかもしれないね。
まさか私が、がんになるなんて思ってもみなかったなあ。浜ちゃんが胃がんで死んでいるし、子供がいるから年一回は必ずバリウムを飲んでいた。そしたら二年 前の検査で「初期の段階のがん」と言われてね。胃を開いてみたら先生が思ってたよりは深かったらしくて、最初は三分の一ぐらいは残そうということだったけ ど、用心のために全部取った方がいいということになった。
でもね、死ぬのが怖いとは全然思わなかった。ホントだよ。浜ちゃんは手術で胃を開いた時は全部がんに侵されていて、あと三カ月って言われた。その時、私は「ちくしょう。絶対に生き延びさせてやる」と思って一緒に頑張った。
浜ちゃんは死ぬと思っていないし、私も思いたくなかった。二人でやれることはすべてやった。それで一年半生き延びた。でも、私は好きなことやってきているから死んだっていいかな、と思った。
三月三日に胃を摘出して五月の連休明けに退院。すぐ仕事に復帰した。
浜ちゃんは退院して三カ月ちょっとで舞台に立っている。彼がやったんだから私もできると思ったわけ。でも実際はきつかった。浜ちゃんは「大変」とは一言も言わなかった。精神力が強かったんだと思う。
今、二人の会は、高校を卒業したばっかりの由加里ちゃん(長女)との二人の会。中学生の時からステージに立っていて、すごく評判がいいの。由加里ちゃんっ てね、浜ちゃんのいいところを受け継いでいて、いい声しているの。すごく心地いい声。そして自分で何かつかみ取ると、それ以上のものをポンと出す。浜ちゃ んの感性を受け継いでいるんだと思う。彼女がいるおかげで、いいものができる。私だけでは描き切れないものが描けるわけだから。でも、私がやってきたよう に東京で修業してほしいと思っている。本人も役者としてやっていきたい、と言うしね。  私と気が合うし、いてくれた方が助かるけど、宮崎で私とだけやっていたらダメだと思う。彼女のためにならないからね。

木内さんとの「おばあさんシリーズ」は毎年続けていこうと思っている。「花いちもんめ」もみんなに見てほしい作品だから年一回はやっていきたいし、「宮城野」もそう。「地獄変」もまたやりたいね。
とにかく今は自分の好きな作品を繰り返しやってきたい。いい作品って再演に耐えられるの。繰り返しやって、気長く完成させていこうと思っている。今年も八月に「花いちもんめ」やるけど、絶対見に来てね。

 野の花館で上演した「昼の月 夜の月」には、忘れられない場面 がいくつかある。老女たちが手に手を取り合っい、宙を漂うようにゆっくりとダンスする。そして、舞台から降りた二人が肩を寄せ合い、庭の木々の間に消えていくシーンで終わる。
 はかなさの中に、希望がしっかり息づいている。明るくて、何があっても前向きに生きる彼女の姿が二重写 しになっている舞台だった。

 女優・浜崎けい子は自分を解き放とうとしている。これからどう変化していくのか。
それをもっとも楽しみにしているのは、彼女の敬愛する舞台俳優・浜崎辰夫に違いない。