へんろ一人旅③

5月8日
四国にこんな言葉がある。4県にわたって決めた願いとして、徳島を発心の道場、高知を修業、愛媛を菩提、香川を涅槃という。今は、修業の身だというところ。白装束はそのまま死んでも構わないという意味の姿なのだ。きびしい修業の身なのだろう。

夕べ、店の人から、コーヒーを一杯おごってもらった。 そうすると、夜、寝れなくなってしまった。どう、あがいても寝れなかった。トータル3時間しか、寝れなかった。でも、やっぱりへんろは行くしかない。
少々、眠くても、すこし汗でもかけば、眠いことなんて飛んでゆくさ。

昼近くまで歩いた。しかし、暑い日ざしがまぶしかった。昼の食事をする店を見つけた。ちょうど、かどのところに一軒の喫茶店があった(この辺は喫茶店も珍しい)。

ここは、男の人が一人でやっているところらしい。50代の人だった。昼めしにカレーを頼んだ。すると、他にサービスとして、みそ汁、サラダ、煮物、漬物、それも大きな碗に。それに、へんろのお接待にパン、ゆで玉子。全部合わせて五百円。興味をそそられた。ひとり喫茶店を開いていたり、中耳炎で100回くらい手術したりした人だった。

よく耳が聞こえないので、手を耳にあてて注文を聞いたり、油絵を描いたり(それらは喫茶店の壁をいっぱい埋めたり)う~ん感動した。
私の納め札をあげて、彼の住所を交換した。

 

5月9日
昼間、とても暑くて、ちょっと、歩くと、一休みしたくなる。そうやって、なんども、なんども、休憩しながらやっていった。しばらく歩いて行って、あまり暑くて、新しく作られた無料休憩所で休憩した。そこに用意してあるお接待の(だれでも飲んでいい)烏龍茶を飲んで、さて、やっこらさ、と、また、歩きはじめた。

しばらく行くと、また、休みたくなった。こんどは、座るところを探してすわった。すると、タクシーがやって来て、その私の座っている隣りの、タクシー屋さんに停めた。降りて来ると、「中へ入んなさい。お茶でもいれて上げよう」

タクシー屋さんの詰め所で、いろんな話になった。先に、休憩した休憩所は、「(烏龍茶を飲んだ、あの小屋は)私が建てたものだよ。あれは3年前、寄付募って建てたんだ。目的がはっきりしてる時は、どんどんものが運ぶものだね。これはお大師さんのためにやるんだ。いろんな問題もどんどん消えてゆく。今は、毎日、氷をもってきたり、飲み物や、無料休憩所の掃除をしたり・・、」その時のことを詳しく話してくれた。


5月10日
朝、宿から出発する。5時45分ごろに起きだして、衣服を着たり、顔洗ったり、髭をそったり、そして6時30分ころ朝食を食べる。7時15分ころ終わる。これでも、精一杯急いでる。それから、トイレを済ませて、さあ、出発。歩き始める。

歩き始めてから、まだ、幾時間も立っていない。歩いていく横に、コーヒーショップがあった。それに2本の木が、呼んでいるように感じられる。名前をシアンクレール(フランス語で「明るい場所」という意味)といった。それがコーヒーショップの建物なのか、なにかわからないが「入ってこい、入ってこい」という、そういう気持ちがした。

そして、入っていった。コーヒーは夜、寝れなくなってしまうということがあるが、今は、午前中のこともあって、頼んだ。美味しかった。

笠をかぶり、杖をついて、店を出て行こうとした。お店の女主人が、扉の横に立って、ありがとうございました、といいながら、そして、会話が始まる。「この木は、とても大きな木ですね」と、私は問い掛けた。

「この木は、私がこの店を、始めた時から、ここにあります。最初は、ほんとうに小さな木だったけど、今は28年たったのです。ほんとに大きな木になりました。見上げるほど。もう一本の木は、ある時、車が乗り上げて、大破しました。しかし、そのお陰で、運転手は無事でした。今もその傷が、木についています」「私は手で触りたい、そばに行って、触ってもいいですか」そして、傍に行き、触った。そしたら、涙が出てきて困った。
「ありがとう」と礼をいい、歩き出した。
突風が吹いてきた。28番札所、大日寺が終わり、さあ、つぎへ向かおうとした矢先、大風が吹いて来た。山のふもとに風がまともに当たって、体がとばされそうになる。うわっ、いけない、と思い、携帯でタクシーを呼んで、一番近くの宿に泊まることにした。


5月11日
きょうは、朝から突風が吹いている。私は負けないように、低く、片手をグーに構えて、さあ、いくぞっと言って、そして、登りにくい階段やらを、苦労して29番札所まで行った。そしたら、もう、体が、どうにも、動かなくなってしまった。今日は、これで休みだ。1時ころ、ホテルへ、着くと、グッスリ眠ってしまった。

夕方、5時ごろ起きて、すこしすっきりした。どうしよう。すこし高知の方でも、見て来よう。片道は、はりまや橋まで、出かけて見る。電車から町を見ると、それは光がちっともなく真っ暗な気がする。しかし、昼はいいし、夜は暗いし、それでいいんだろう!

帰りの路面電車の中、となりのおじさんが、私のカバンをじーっと見ていたが、カバンの表面に書いてあった『同行二人』という字を見て、考え深げに、私に話しかけ「祈る時は、無心にならなきゃいかん。今まで、四国を3回まわってたけど、そういうことを、あなたのカバンを見てそう思った」と話した。


5月12日
四国の町は、おとぎの国のようだ。それはまるで宮崎 駿監督の『千と千尋の神隠し』とか『となりのトトロ』のような、おとぎの国のような、なにか、ちょっと小さくて、町であるし、電車のようでもある。または、ラフカデオ・ハーン(小泉八雲)が一度、描いた、土地の人が夏の夜、盆踊りを、単純なメロディーで踊る。そんな気もする。
 

善楽寺の近くに、民宿があった。そこへはトイレを借りに行った。そこにいた時、おかみさんとおじさんがいた。とてもいい人のような気がした。

福岡でいっしょに活動してる(市民ホスピス・福岡)人が、「自分の親戚がいるから」と紹介してくれた。彼らは桂浜の近くに住んでいる。今夜はそこに泊めてもらった。とても、いい人たちだった。


5月13日
きょうは、昨日の30番をスタートにして、出発した。竹林寺は、以外に早く、近づいて来た。しかし、それからが、近づいても、近づいてもやって来ない。下のまわり道へまわり、また歩いていても、近づいて来ない。結局、その後、登り坂にふーふー言ってしまう。5時ごろに竹林寺に、おかみさんが迎えに来た。長い長い一日は、終わった。


5月14日
竹林寺から、それを振り出しに、ずーっと、歩きだしていると、おじさん(75才)に呼びとめられ、お接待すると言われる。「あなたは障害があるように見えるが、仕事は何をしとる?」
私は答えた「あぁ、市民ホスピス・福岡という市民団体で・・・」
おじさんは「あぁ、ボランティアをするところだね、なんでも自分から進んですることだね。じぁ、私は釣具屋だが、私が少し話して上げよう。たとえば、仏教では、教えはこれに尽きる」そして、いろいろ話してくれた。

 

一、 心が第一です。
二、 行動する事。
三、 人のため、世のために尽す。

 

それから、話を始められた。
釈迦は弟子たちに話して聞かせた。
仏教は平易な言葉で話される。それが結果出た言葉だ、それがお経だ。
釈迦はシャカ国の四国と九州くらいの大きさの地方で生まれた。
ある時、釈迦は話された。例えば、歯が痛い。そうすると歯を磨がかないといけない。
腹が痛い、そうすると、よく噛んで食べなさいと、言うふうなことだった。
一心欲見仏(いっしんよくけんぶつ) 不自借身命(ふじしゃくしんみょう)
勇猛精進(ゆうみょうしょうじん)これは、【前に進むだけ、 退いては、いけない】という意味だ。
(あ、これは立江寺のおやじさんが口ぐせのように使ってた「前に、前に、進むんだ!」と、同じ意味だ)
または、無量宝珠(むりょうほうじゅ)不求自得(ふぐじとく)という言葉があるが、それは、「宝は自分に来る」という意味だ。こういうふうに、たくさん話してくれた。

 

5月15日
高知の北部に位置するところに最初の民宿があるが、そこを軸にして、きょうは朝めしを食っている間に、おかみさんと話した。いろいろ話をした。その中で〝利他愛〟(人によかれと思うことを為すこと、かな?)が、人にとってもっとも大切なんだと話された。うん、そうか。さて、ちょっとだけ、福岡に用事があるので、戻ってくることにする。


5月24日
四国の松山に来た。夕方、少し体を動かそうと思い松山城まで行って見たいと思った。松山は昔も、よく来たが松山城は登ったことなかった。それで、今日、登って見た。ホテルに帰った時、ホテルの主人と、ある話になった。
 

ある老人を運動に誘うのだが、少しばかり無理をする、つまりちょっとばかりがんばろーとする言葉を入れる。それがある程度、続くと、それはやることが普通になってくる。そして、今度はひとつ上がる、そして、ひとつひとつクリアしていく。


私のリハビリもそんな風にやってゆく。なんでもちょっと余計ずつやっていく・・・最初は難しいことも、やがて自然にやれてゆく。それと、まったく私も同じ過程でやっている。なんでこんなに自分ひとりだけなんだ、と思えたのにホテルの主人という仲間がいてよかった。

松山城のロープウェイで8合目まで登り、そのあとを登った。天守閣のひとつ手前まで登った。松山の天守閣は、あとのいつかのために取って置こう。さて、3度目、の挑戦だが、明日、高知に行く。



5月25日
高知にようやく着いた。雨が降っていた。 高速バスを下りてから、30番の札所まで歩いた。
おかみさんやおじさんが出迎えた。この民宿では、どちらかが我々を迎えに行くが、前の日に、電話でへんろが歩いているところを、車で連れに行って、そして、こんどは次の日、そこまで車で送る。1時間もかかることもある。

しかし、それは宿代にはなにも入らない。それはすべて、お大師さん信仰になる・・。明日はそれで36番(33番~36番)まで、打つつもりだ。
 

以前のことだが、ひとつ引っかかっていることが有る。それは札所で、一つだけ心に残ることがある。はじめころ、私は第11番の藤井寺、12番の焼山寺、13番、14番、15番、特に12番の難所を始めとして、その頃は、自分では絶対、難しい、当然、だめだと思えた。

 

しかし、こうして、数を重ねて来ると、時間さえ賭ければ、自分の力で、登ることができるじゃないのか、とそう思えて来た。・・香川県まで行って、八十八ヶ所が終わったら、もう、一回、12番の難所を挑戦して見よう。道はどこでもいい。自分の力で登りたい。歩いて見たい。


5月26日
毎日、歩いていく。約5分間のフェリーに乗り、対岸に下りて、しばらく歩くと、雪渓寺だった。
それが終わると、きょうは桂浜に行こう。私は前から坂本龍馬が大好きであった。
桂浜に龍馬の銅像が立ってる。長崎や京都は、その度に、訪ねて見たりした。高知は訪れたことはあったけれど、見たことはなかった。龍馬は高いところから海を見つめていた。その像は、大きくて、そして、はるかな遠いところを見ている。
眺めていると、おばさんが話しかけてきた。いろいろ話しかけてきた。

 

しばらくして、おばさんにも同じように、脳血栓の後遺症があることがわかった。もう9年も前に脳血栓を患った。兄さんが、介護をして歩いて来た。女の人は「あなたは、へんろしていて、(脳血栓が)軽くてよかったね」「あー、はーあ?」私は、無理かどうかは、自分しかわからない。人生に必要なことは必死に生きていることだ。そうでないことは死んでるのと同じことだと思う。

 


5月27日
歩いている。水がどちらかに向かって流れている。ずーっと、前から流れている。
この辺の水は、きれいで水面が美しい。水はいろいろな面をもっている。高くなり、低くなりながら、歌うように流れてゆく。
そのきれいな水の流れに、2人のひとが遊んでいる。母さんと息子だ。息子は20才くらいだったが、母親は息子を、あやすように見えた。息子は障害を持っているようだ。水をこぼしたり、汲んだりして、遊んでた。
 

私は「こんにちは」(四国人のまねで、挨拶を誰にでも言うようになっていた)そして、20歩くらい遠ざかったところで、前方から、(10歩くらい先のところ)クゥ~ン、キャイン、キャインと子犬が、水の中から、助けを求める悲鳴を上げていた。あぁ、私は、すべてを理解し、後ろの母親に、助けを求めた。母は、すぐさま走り寄って、屈み込んで、そして、子犬を助けあげ、連れて帰り、ぶるぶるふるえている子犬を、タオルで拭き、家に連れて帰って、と、そう自分のことのようにやっていた。これから、母親と息子と子犬の物語がはじまるのだろう・・
 

 しばらく歩いていると、喉が渇いて来た。ちょっと店があったので、アイスを買い、喉を潤おす。おばあさんがいて、話をする。そのおばあさんは、今年、90才になる。

そして、話してるうちに、私のことに話は移り、おばあさんは「足が動かんの、そんな、かわいそうに」と涙を浮かべて泣き出した。私は言った。「ばあちゃん、かわいそうじゃないんだ。これは直るんだからさ」
それから、しばらくして、別れを言った。おばあさんは、外に立ち、私が見えなくなるまで、じーと、見てた。時々、手を振りながら。


5月28日
きょうは例の民宿の人が清滝寺に向かう5kmのところに私を置いて、さあ、開始。山道の急斜面で狭い。下りは一歩一歩踏みしめながら、降りた。帰りは、民宿の人が迎えてくれた。
 

帰りの車の中で、いろいろ話してる途中で「タロット(トランプ)を見に行こうか?」私は、別に行きたくもないが、宿のおかみさんは、私を見せにやりたかったらしい。おかみさんもここで民宿をやるかどうか見てもらって、始まったようなもの。そして建て始めた。「見せたら、はっきりすることが出るよ。タロットも値段が安いし、行きなさい」本当に安いし、まあ、いいかなぁ。おじさんと、出かけた。

 

ちょっと、大きめのトランプを切り、絵が描いてある。ならべながら、70才を超えた女の人が、タロットの主人。おじさんは「あっ、いいのが出た!」と言った。女の人は、トランプを広げたまま説明を始めた。「あなたは、これからお四国を巡り、全部終わったころで、(香川県が終わり、そして高野山も終わりの頃)、今までのことが全部消えてなくなり、新しい生活が始まる。これまでの業も消えて無くなり、仕事をするでしょう」と言った。


5月29日
36番、青龍寺、海のそばまで出た。すると風が吹いて来た。何日前のある凄い風のごとくだった。そしたら、怖くなって、これはもう駄目だなと思った。
電話をかけた。一時間くらいで車は来た。待っている間、風が怖かったのたっだ。民宿のおじさんは、整体術とか、なんとかいう技を持ってる。車を運転しながら、身体のことを話した。
1、 病気におじるな(おそれるな) ( これは四国の方言 )
2、 症状におじるな(おそれるな)
3、 常識を外せ
4、 素直な心になると病気は消える、無の心なりという


5月30日
青龍寺は海の際にあり、今日は晴れていた(海が荒れると、たいへんだ)。宇佐大橋を渡って(橋を渡るのは緊張した)、平地に立つ寺を目指して、そして、たどり着けた。今日は、これで高知の札所は36番まで来た。これでなんかが終わり、さて、明日からは、また、新しい明日が始まる。


5月31日
民宿の車で送ってくれた。36番の札所の近くの、昨日の場所まで車で一時間のところまで連れて行ってもらった。その間、話をしながら行く。
今日はこんな話だった。
 

世の中は、宇宙、太陽、地上、3つのことからなりたっている。エネルギーとしての酸素とコトバの波動がある。プラスのコトバを発し、すると、良い方向に発展する。そうでないとO2(酸素)が足りないとか、 痛みが出る。マイナスのコトバは、人の悪口だとか、医者のコトバもある。ひとは【信念と努力】が大切だ。

こんな風にして、車は目的地に着いた。

この民宿もこれが最後だ。「ありがとう」と礼を言った。そして、さよならを言い、歩き始めた。
一日くらいの距離に、当てにしていた民宿は、電話をかけて見て、それが休みだと分かった。バスで一歩足を延ばし、その先に宿を取った。