グロード神父と私①

-隈崎 行輝-

グロード神父は北海道の函館にある「旭ヶ岡の家」という老人ホームの施設長です。
8年前に福岡市で開催した日本ホスピス・在宅ケア研究会で講演をお願いしたことがあります。
グロード神父のことは、ジャーナリストの岡村昭彦が書いた『ホスピスへの遠い道』という本の中に出てきます。(297ページ~326ページ)
私は、この本で紹介されているグロード神父に会いたいと思い、函館の地に彼を訪ねました。「旭ヶ岡の家」で神父に会い講演の依頼をすると彼は、私の願いを快く引き受けてくれました。

岡村昭彦は『ホスピスへの遠い道』の中で、グロード神父のことを、このように書いています。
「私の頭の中は、いつのまにか末期患者だけのケアを目的とする『ホスピス』に限定されてしまっていたのである。私は改めて、1970年代になって日本に生まれ始めた『ホスピス』について考え直す良いチャンスに恵まれ・・・・・・・・・・
グロード神父の『旭ヶ岡の家』は、フランスの人々の憩いの家である『ホスピス』の思想に根ざしたホームであった」 (『ホスピスへの遠い道』301ページより)

つまり、グロード神父の「旭ヶ岡の家」は、本当の意味の憩いの家であり、「ホスピスの思想」に根ざした老人ホームだったのです。

私は2002年のこの大会後、ストレスの為か大変疲れていたので、故郷の延岡市の友人たちと、ニューヨークへ行きました。
延岡市出身の若い知人が勉強のために、ブロードウェイに住んでいたので安いホテル等を紹介してもらい、『42st』や『ライオンキング』 クラシックのコンサート メトロポリタンの美術館などを観て過ごしました。
その旅行の後、帰国してから、大会の後片付け等々もあり、それらの仕事をしている最中に、私は脳出血を起こし倒れてしまいました。
倒れた時から今は7年半が経ちます。

脳出血を起こした私は、その後、5年ほどは、「失語症」のために、喋ることは、もちろん、簡単な言葉さえ出すことができませんでした。
周りの人たちは、私の病気は治らないと思っていたのかもしれませんが、その時の私は説明することは出来なかったけれど、頭の中では、いろいろな事を考えていました。

この『ホスピスへの遠い道』の中に書いてある「旭ヶ岡の家」に根ざしているような、ホスピス思想=ヒューマニズムは、何故、他の土地に広がっていかないのか?という疑問が私の中にありました。
私はそれ以来、ずっと、そのことを考え続けています。

私は、病気のあと(今から6年前と4年前に)ヨーロッパを訪ねました。障害者になってしまった私は、イタリアのアッシジ(ローマから汽車で2時間ほど)という聖地へ行きたいと思い、一人で2度、訪問しました。
周りの人たち(市民ホスピス・福岡の人たち)は、本当に心配してくれましたが、とにかく、一人で行きたかったのです。

その時のヨーロッパで障害者の私は、その国の見知らぬ沢山の人たちから、言葉では言い表せない程に助けられて、アッシジやフランスのパリを周ることができました。
2度目も同じ様に、沢山の人たちに助けられました。
日本の人たちからも、ずい分と助けられてきましたが、西洋の人たちに比べると、それは、少ないような気がします。
ヨーロッパの人たちの心の中には障害者は助けなければいけないという気持ちがあるのではないかと、そして、それが、ヒューマニズムではないのかと思いました。

日本のヒューマニズムは、というと・・・もちろん、日本人の中には、やさしく親切な人たちが、沢山います。  私が、病気をした時にも、いろいろな事に、関わってもらいました。
西洋では、旅行中に、列車の中で、トイレに行こうと立ち上がって、ヨタヨタと歩いていると、前に座っている人が、すっと、立ち上がり、肩を貸してくれ、トイレまで一緒に歩いてくれたのです。そんな些細なことを、嬉しく、感じました。
日本の社会も、そうなっていけば、いいと思います。
日本では、相手を助けようという気持ちは同じようにあっても、それを、行動に移す事に、時間がかかり、「いざ」という時に時間が過ぎていくのじゃないかと思います。

私は、これからも、ホスピス運動を続けていくのならば、どのように行動していけば、良いのだろうかと思っています。
日本でも、ヒューマニズムという言葉を、よく聞きますが、しかし、日本の社会では、まだ、ヒューマニズムは成育していないと思っています。

このアッシジへの旅のあと・・今から、2年前の夏に、私は、グロード神父に会い、この質問をしたいと思いました。 神父に会えても、私は喋ることが上手くできるとは思えなかったのですが、どうしても、会って、話がしたいと思いました。

グロード神父は、80歳を超えていて、講演会のあとに、軽い脳出血を、何度も起こしていると聞いていました。
施設の職員の方に、電話をかけると、歩行器で移動はしているが、施設長の仕事は、今もしているという事だったので、今、聞ける話を聞きたいと思い、面会の予約をとりました。
神父を訪ねて行くのは、2回目でした。

福岡から羽田へ、羽田から乗り換えて、函館まで行きました。
その飛行機の中で、隣の席の60歳くらいの女性に、地図を見せて「函館に、『旭ヶ岡の家』という施設がありますが、どちらの方向に行けばいいですか?」と聞きました。
その女性は、驚いて、「まあ!旭ヶ岡の家に行くの? 女子大に行っていた頃に、グロード神父にキリスト教や聖書の事を教わっていたのよ。ボランティアもしていたの」と答えてくれました。

そして、「明日の朝に、私が、車で、あなたを「旭ヶ岡の家」まで、送っていくわね。神父さまに会うのも久しぶりだし・・・」と、本当に驚いていた様子でした。
私も、偶然に、隣の席に座っていた人が、神父と知り合いだったという事に、とても、驚きました。
その日は、ホテルに泊まり、次の日の朝、彼女は、車で迎えに来てくれたのだが、この後もグロード神父の事では、偶然が重なり、おもしろい展開が待ち受けていたのです。