グロード神父と私②

次の日の朝、彼女の運転する車で「旭ヶ岡の家」へ行きました。
グロード神父は自分の施設長の部屋で何人もの人の出入りがあるなか、私たちを迎えてくれた。
 

女子大時代に、ボランティアをしていたという彼女も、「神父さま、お久しぶりです」と挨拶をしていた。

私は、ずっと考えていた事を神父に質問した。
 

 「神父さんは、ヒューマニズムが、大切だと仰っていますが、ヒューマニズムは、まだ、この国には根付いていないと思います。 そういう国では、どんなふうにしていけば、いいのでしょうか?」ということを脳出血で後遺症のある私はたどたどしい言葉使いで質問をしました。

グロード神父は、どうにかして私に答えようとしてくれました。
しかし、神父さんはどう表現してあげたらいいのかわからない感じだった。
私の質問の意味は理解していても、アレだよ、ほら、ようするにアレだよ言った感じだった。

 

確かに「ヒューマニズム」と聞かれても、それが、どういう意味だと明確に答えられるものではないのかもしれません。
結局、どうしても会話が、うまくいかないまま、時間が過ぎてしまって帰ることになりました。 
 

その日、神父とは1時間は話をしたような気がしますが、私の質問には、何も答えてくれていないような思いがしていました。

帰りは、また彼女の車で、函館の街まで送ってもらい、(彼女は、久しぶりに神父に会えたのが嬉しかったから、ご馳走しようと言われた)一緒に食事をしてから、私は福岡に戻りました。
私はこの旅は、なにか残念でならないという気がしました。

              ◇   ◇   ◇

福岡に戻った私は、故郷の宮崎県の延岡市を訪れました。
そこで延岡のデイリー新聞社の坂本さん(市民ホスピス福岡のホームページに掲載されている『そして、人がいた』の作者ですが、ニューヨークにも一緒に行った人です)に会いました。
 

この時は、延岡市の五ヶ瀬川(延岡を流れる大きな川)のお祭りでした。

いろいろなイベントが開かれていて、『自然にふれあう』という趣旨の実行委員会が作られていました。坂本さんも、その実行委員の一人でしたので私もその会に入れてもらいました。
 

私の隣りには延岡から札幌に引っ越しされたばかりだという彫刻家の女性が、このお祭りに参加していました。

私は彼女と、いろいろと話しながら、ふっとグロード神父の事を思い出し、神父の話をしてみました。

 

すると驚いたことに、彼女は、グロード神父のことを知っていて、2・3度函館に神父を訪ねたことがあると言うのです。
なんという偶然(?)神父の事を知っているという人にここでも会うことができたのです。
私は、彼女に函館に神父を訪ねて、いろいろと話をしたことを話しました。

質問したが、的確な答えは返ってこなかったと言いました。彼女にその訳を聞きたいと思いました。
実行委員会のある場所では、まわりが騒がしかったので、静かなホテルの喫茶店へ行きました。そこできちんと聞きたいと思いました。なにか彼女には、わかっている気がしたのです。

グロード神父はあの時どうして明確に答えてくれなかったのだろう?と私は聞きました。
彼女は答えました。
「神父は絵や彫刻を、いっぱい造っているでしょう? 絵を描いたり、オブジェを造るのが趣味で、それらの作品を施設の中に、たくさん並べているでしょう。(本当に神父は施設のいろんなところに作品を並べている)
 

神父は言葉であらわせない事を『こんな世界がほしいのです。こんなホームが造りたいのです。こういう人間になりたいのです。』と・・・繰り返し、繰り返し、作品をつくることで表現しているのだと思いますよ。そうやって、周りの人や遠くの人たちを巻き込んで、気づいたら、やがて、理想的な『ホーム』ができあがっていたという事ではないのでしょうか・・」

 

私は、その話を聞き、目から鱗が落ちたような気がした。この女流の彫刻家もそのようなこと知っている!! 形のあるものを通して、形ないものを現すということを。

岡村昭彦が著書の中で『ここには、本当のホスピスができた。』といった意味がわかったと思ったのだ。
グロード神父は、こうして「フランスの人々の憩いの家である『ホスピス』を。その思想に根ざしたホームである」ものを、日常の生活の中で創っていったのだと思ったのです。

              ◇   ◇   ◇

私たち市民ホスピスでは、日頃より、いろいろな講座を開いています。
一年目、基礎講座。二年目、発展講座 そして、三年目、実践ワークと学んでいきます。それで三年間経てば「ホスピスの心」が自然とわかるのではないか、と思っています。
先日の「実践ワーク」では、″自分の夢〝と題して「自分の願いは、叶う! 毎日、毎日、願っていれば、自然に身の回りから、叶っていくのだ。」というワークをやりました。日々の生活を通して、変化して行くというワークです。
グロード神父は、これを知らず知らずのうちに、それらの事を、実践していたのではないのかと思いました。
自分が理想とする世界を願っていれば、自然と自分の思う環境が整っていくのではないのかと。
だから、私の質問に対して、言葉で上手く答えることが、できなかったのも当然だったのではないのかと、今では思うことができるのです。

その後、グロード神父に手紙を書いてみたくなりました。それもフランス語で。
私は、昔は、フランス語を少しは話すことができたのですが、脳出血を起こしたせいで、ほとんど、忘れてしまいました。
家の近くの文化センターにフランス語講座があるので通い始めました。
講座に通っているうちに少しは思いだしてきたので、それをフランス語の先生の添削を受けて、一週間かけて手紙を書きました。
「昨年は、市民講演会を開催しました。今度の夏はヨーロッパ旅行にも行きます。」等々と書き、神父に出しました。

神父からも、フランス語で返事がきました。
Cher ami  Comme vons apprenez le français, 
Je vous ècriz --- en français, Vous étes un homme extraordinaire! Bravo!  
グロード神父からは、時々ですが、手紙をもらいますが、今は「私は、体調を崩し、立位も歩行も難しくなり・・」という状況にあるようです。
神様は人間のひとりひとりと関わっていきます。
人は生まれて、いつかは、死んでいくのです。それが、自然の摂理です。みんなどのような人も同じです。      
私も与えられいのちを大切にしようと考えています。