ホスピス旅日記’97 ③ (第三回)

ミスティックな夜
二月のある夜のことだった。喫茶店に勉強に行っていたルームメイトのT氏が遅くなって帰ってきた。彼はくつろいだ服に着替えながら「今夜の月は何かパワーがありますね」と言った。(彼は時々こんな表現をする)「それじゃ、今から見に行こうか」という話になった。

 

二人とも寝巻きに近い格好の上からコートをひっかけて車に乗り込んだ。この時はもう夜の十一時に近かった。途中でテイクアウトのコーヒーを買い込んで、シアトルの中心地・ダウンタウンが見渡せて、月がよく見えるクィーン・アンという丘の上に行った。

 

ちょうど頭の上にある青白い月には大きな月輪が架かっていて、その月からゆらゆらと何か力が発散しているように感じた。それがちょうどシアトルの街の上をすっぽりと包み、不思議な力がゆっくりと降ってくるようだった。

 

100年以上も昔、まだ文明に毒されていない頃のネイティブ・アメリカン達(いわゆるインディアンのこと)はこういう月を普段に見て生活していたに違いない、特にあのシアトル酋長(シアトル市の名前の由来になった酋長)は、こんな月を感じながら生きていたに違いないと思った。

丘の上のベンチに二人で座り、空を見上げながらそんなことを思った。いつもは感動するシアトルの夜景も今日はなんだか月の力に負けて全く色褪せて見えた。


しばらくして、もう一ヶ所行ってみようということになった。シアトルから北の方へ車で三十分も走ったところの海岸へ向かった。電灯の光のない暗い海岸から月を見上げようという計画だった。

 

そのとき時計は既に十二時をまわっていた。しかし海岸に着いてみると、そこは砂浜に添って金網が張ってあった。中に入ることが出来ない。「せっかく来たのに残念だなぁ」と話しながら、ふと横を見るとそこにフェリー乗り場があった。

 

そして何台かの車が船を待っている様子で並んでいる。午前一時に近い時間なのに、今頃フェリーが出るのかといぶかりながら見ていると、どうもどこかの島への最終便が出るらしい。シアトルで働いた人たちが島へ帰るのだろう。行き先はよく分からない。訊いてみることもしなかった。

 

でも、せっかくここまで来たんだから、もしかしてあの船に乗ったら、どこかのいい海岸に着くかも知れない。二人ともそう思って顔を見合わせた。明日は朝からいつものように学校に行ったりしなければならない。

しかし、船はそう遠くへ行くのでもなさそうだ。明日になれば朝はなんとかなるだろう。そう思って無謀にも私たちは何処に行くのか分からないその船に車を乗り入れた。

 

◇   ◇   ◇   ◇

船に乗り込んで案内板などを探していると、この船はスクオミッシュというところに行くらしい。その名前には聞き覚えがあった。さっき丘の上で思い浮かべたシアトル酋長の墓がある土地ではないか。そこへ行ってみよう。

 

T氏と私とは別々のルートからシアトル酋長の事を知っていた。私たちはとてもシアトル酋長という人に惹かれるものを感じている。今から百四十年前、白人が土地をよこせと言ってきた時、条約を結ぶ際に彼が残した感動的なスピーチによってである。

 

船は三十分くらいすると港に着いた。午前一時半という時間なので、店など何処も開いてない。道を尋ねる人も誰もいない。ただ道路に沿って、こっちだろうと思う方角に向かって走り出すだけだった。道の脇には標識らしいものはほとんど出ていない。

 

しばらく走ると三叉路になっているところがあった。そこを左に取って、少し行ったところで突然、私は何か胸の辺りに不安が襲ってくるのを感じた。その瞬間、隣に座っているT氏が「な、何ですか、これは?」と大きな声で叫んだ。彼も同じ時に同じ不安を感じたのだった。

 

そしてそれはちょうど帯状になって私達の上を過ぎ、二、三秒もするとその不安は消えた。目に見えるものでもないのに、まるで目に見えるものであるかのように「あれは何だったんだろう?」と私たちは話し合った。不思議なこともあるものだ。

 

シアトル酋長のお墓へ向かう道は知らないけれど、きっとこの道に違いないと思った。それからまたしばらく車を走らせたが、走り過ぎる時、道の脇の古びた標識の上に書いてある「Chief」という文字が飛び込んできた。少し後戻りして、そこに「Crave of Chief Seattle」という文字を見つけたのだった。その脇の坂を少し登ったところにチーフ・シアトルの墓があった。

 

私達がそこに辿り着いた時、既に夜中の二時になっていたが、もう月は雲に覆われていた。最初は月を見るために家を出たのに、月の役目はただ私達をここまで連れてくるためにあったようだった。

 

乗ってきた車の中にカメラがあって、フィルムが一枚だけ残っていた。

私たちは石の上にカメラを置いて写真を一枚撮った。

何の変哲もない、シアトル酋長のお墓を真ん中に写した写真だけど・・・
何の変哲もない、シアトル酋長のお墓を真ん中に写した写真だけど・・・

 

次の朝は早くフェリーに乗り、シアトルまで帰った。そして何の変わりもなく、また新しい一日が始まった。

それにしてもシアトルの街とその名の元であるシアトル酋長とそして福岡や日本の私達と何か不思議な縁で結ばれているような気がする夜だった。

 

近況
シアトルは相変わらず雨の多いところだけど、街には花がたくさん咲いています。日本からでも持ってきたのでしょうか、桜が街中に植わっていて、満開です。

 

プロビデンスホスピスでの三十時間のボランティア講座も始まりました。約一ヶ月間に亘って行われます。英語になかなか苦労していますが、でも楽しんでいます。英語の方はあるアメリカ人と語学の交換をしたり、つまり日本語を教える代わりに英語を習ったり、いろんな国の人が集まる場所があって、そういうところに出かけて行っては、できるだけ聞き話すようにしています。

またこの四月からは住居を変わることになりました。プロビデンスホスピスのソーシャル・ワーカーのマークさんの家にお部屋をお借りすることになりました。お手紙は今までと同じところで受け取ることが出来ますので、またよろしく。
次回はホスピスボランティア講座のことについてか、こちらで出会った人たちについて書いてみようと思っています。

 

ではまた。


シアトル酋長の手紙

ワシントンの大首長へ そして未来に生きる すべての兄弟たちへ

1854年

アメリカの第14代大統領フランクリン・ピアスは
インディアンたちの土地を買収し、居留地を与えると申し出た。
1855年
インディアンの首長シアトルはこの条約に署名。
これは シアトル首長が大統領に宛てた手紙である


はるかな空は涙をぬぐい 今日は美しく晴れた。

あしたは雲が大地をおおうだろう。

けれどわたしの言葉は星のように変わらない。

ワシントンの大首長が 土地を買いたいといってきた。
どうしたら空が買えるというのだろう? そして大地を。
わたしにはわからない。風の匂いや水のきらめきを あなたはいったい
どうやって買おうというのだろう?
 
すべてこの地上にあるものは わたしたちにとって神聖なもの。

松の葉のいっぽんいっぽん 岸辺の砂のひとつぶひとつぶ深い森を満たす霧や

草原になびく草の葉 葉かげで羽音をたてる虫の一匹一匹にいたるまで
すべては わたしたちの遠い記憶のなかで神聖に輝くもの。
わたしの体に血がめぐるように 木々のなかを樹液が流れている 。
わたしはこの大地の一部で 大地はわたし自身なのだ。
香りたつ花はわたしの姉妹。 熊や鹿や大鷲はわたしの兄弟。
岩山のけわしさも 草原のみずみずしさも 子馬の体のぬくもりも
すべて 同じひとつの家族のもの。
 
川を流れるまぶしい水は ただの水ではない。

それは祖父のそのまた祖父たちの血。

小川のせせらぎは祖母のそのまた祖母たちの声。

湖の水面にゆれるほのかな影は わたしたちの遠い思い出を語る。
川はわたしの兄弟。渇きをいやしカヌーを運び
子どもたちに惜し気もなく 食べ物を与える。
 

だから白い人よ どうかあなたの兄弟にするように

川にやさしくしてほしい。

空気はすばらしいもの。 それは すべての生き物の命を支え 

その命に 魂を吹き込む。

生まれたばかりのわたしに はじめての息を与えてくれた風は
死んでいくわたしの 最後の吐息を うけいれる風。

だから白い人よ どうかこの大地と空気を 

神聖なままにしておいてほしい。

草原の花々が甘く染めた 風の香りをかぐ場所として。
 

死んで星々の間を歩くころになると 

白い人は自分が生まれた土地のことを忘れてしまう。

けれど わたしたちは死んだ後でも 

この美しい土地のことを決して忘れはしない。

わたしたちを生んでくれた 母なる大地を。
 

わたしが立っているこの大地は

わたしの祖父や祖母たちの灰からできている

大地は わたしたちの命によって 豊かなのだ。

それなのに 白い人は母なる大地を 父なる空を

まるで羊かビーズ玉のように

売り買いしようとする。
 
大地をむさぼりつくし 後には砂漠しか残さない。

白い人の街の景色は わたしたちの目に痛い。

白い人の町の音は わたしたちの耳に痛い。

水面を駆けぬける風の音や 雨が洗い清めた空の匂い
松の香りに染まったやわらかい闇の方が どんなにいいだろう。
 

ヨタカのさみしげな鳴き声や

夜の池のほとりのカエルのおしゃべりを 聞くことができなかったら

人生にはいったいどんな意味があるというのだろう。

わたしにはわからない。 白い人にはなぜ

煙を吐いて走る鉄の馬の方が

バファローよりも 大切なのか。わたしたちの命をつなぐために
その命をくれる バファローよりも。
 
わたしにはあなた方の望むものがわからない。

バファローが 殺しつくされてしまったら

野生の馬がすべて飼いならされてしまったら

いったいどうなってしまうのだろう?

聖なる森の奥深くまで 人間の匂いがたちこめたとき

いったい何が起こるのだろう?

獣たちがいなかったら 人間はいったい何なのだろう?

獣たちが消えてしまったら 深い魂のさみしさから

人間も死んでしまうだろう。

 

大地はわたしたちに属しているのではない。

わたしたちが大地に属しているのだ。

たおやかな丘の眺めが 電線で汚されるとき 

藪はどうなるのだろう? もう ない。

鷲はどこにいるのだろう? もう いない。
足の速い子馬と 狩りに別れを告げるのは どんなにか辛いことだろう。
それは 命の歓びに満ちた暮らしの終わり。
そして ただ生きのびるためだけの戦いがはじまる。
 
最後の赤き勇者が 荒野とともに消え去り その記憶をとどめるものが
平原の上を流れる雲の影だけになったとき
岸辺は残っているだろうか。 森は繁っているだろうか。
わたしたちの魂のひとかけらでも まだ この土地に残っているだろうか。
 
ひとつだけ 確かなことは どんな人間も 赤い人も 白い人も

分けることはできないということ。

わたしたちは結局 同じひとつの兄弟なのだ。

わたしが大地の一部であるように あなたもまたこの大地の一部なのだ。
大地がわたしたちにとって かけがいのないように
あなた方にとってもかけがいのないものなのだ。
だから白い人よ わたしたちが子どもたちに伝えてきたように
あなたの子どもたちにも 伝えてほしい。
大地はわたしたちの母。 大地にふりかかることはすべて
わたしたち 大地の息子と娘たちにも ふりかかるのだと
 

あらゆるものがつながっている。

わたしたちがこの命の織り物を織ったのではない。

わたしたちは そのなかの一本の糸にすぎないのだ。
生まれたばかりの赤ん坊が 母親の胸の鼓動をしたうように
わたしたちは この大地をしたっている。

もし わたしたちがどうしても

ここを立ち去らなければならないのだとしたら

どうか白い人よ わたしたちが大切にしたように

この大地を大切にしてほしい。

美しい大地の思い出を 受け取ったときのままの姿で

心に刻みつけておいてほしい。

そして あなたの子どもの そのまた子どもたちのために
この大地を守りつづけ わたしたちが愛したように 愛してほしい。
いつまでも。 どうか いつまでも。
 
パロル舎刊「父は空 母は大地」(寮 美千子 編・訳) より