ホスピス旅日記’97 ⑤

◆ホスピスボランティア講座◆
シアトルは 「夏がいい」 といいますが、最近は雨も以前より少なくなり、木々の緑が街の中に豊かに茂っています。さて、今回はボランティア講座その他についてもう少し詳しく書いてみようと思います。
講座は30時間を4週間かけてみっちり行われました。アメリカでは他にもいろいろなボランティアがありますが、しかし、ホスピスのように時間をかけてしっかりと訓練をするところは他にありません。
このボランティアが当然なアメリカでもホスピスのボランティアは特別だと言えます。

それだけホスピスのボランティアは大きな責任を持ってするのだと言えます。
30時間の講座はホスピスのボランティア・コーディネーターが全体の企画構成を行ないます。最初、ホスピスの沿革の紹介から始まり、ボランティアとしてのいくつかの実習をステップを踏んで行なっていきます。
実習といってもそんなに堅苦しいものではありません。例えばひとりひとり自分の「希望」と「恐れ」についてみんなの前で話しをするとか、2人ずつ組になってこれまでの人生の中で失った人について語り合うとかいうことを行ないます。その合間、合間にソーシャルワーカーとか、看護士とか、チャプレンとかのスタッフからの講義と質疑応答とが織り混ぜられています。そして折りにふれてホスピスの哲学が繰り返し伝えられていきます。
スタッフとしては他にビリーブメントケア・コーディネーター、つまり残された家族の悲しみのケアの担当者、それから患者に子どもがいる場合、子どもの危機を助けるセーフクロッシングという専門家、そして作業療法士がいます。作業療法士からは実際の患者移動の方法をボランティア同志が患者の役になったり、なられたりして習いました。
これら講座の全体を通して特に重要視されているのではないかと私が思ったのは、「失う」という体験をもう一度確認するということです。それを通して患者の気持ちを理解するということです。
特に印象に残ったエクササイズが一つあります。13人のボランティアとコーディネーターとが床に輪になって座ります。
青とか黄色とかの色紙を20枚みんなに配られます。その紙に自分の大切にしている物(車とか家とかあるいは昔の写真とか)、自分の大切な人々、自分が大切にしている自然(森とか青い空とか)を書いていきます。ボランティアコーディネーターのパディさんが(以後敬称を略します)静かな音楽に合わせてひとつのストーリーをゆっくりと語っていきます。それはこんなものでした。
「ある人がいた。最近体の調子が悪くて、ある日医者を訪ねた。いくつかの検査をした。医者はさえない表情でこの検査結果を聞きにまた3日後に来てくれと言った。帰り道、周りの木々や街の景色はとても美しかった。3日目後にとても気が重かったが、医者のところに向かった。その日、医者から病気のことを聞かされた。悪性の癌で予後は3ケ月くらいだろうと言われた・・・・・」
このストーリーの問にパディがみんなに先程の色紙を1枚、また1枚くしゃくしゃに丸めて、床に投げ捨ててくださいと言う。そうやって1枚、2枚と捨てていくのです。おのずと自分にとってそれほど大切でないものから順に捨てていくことになります。手に持っている紙が残り少なくなってくると、あたかも書いてあるものを実際に捨てなければならない気がして「これだけは捨てたくないよ」と言う気持ちが出て来ます。あるいはこれまでに何かを失った時の気持ちをふっと思い出します。
誰でもいろんな物を失いながら生きているものです。グループのある人が涙を流し始めました。
床はみんなの捨てた色とりどりの紙で一杯になった。それは美しくもあり、またみんなが人生の中で無くしたものの多さに思いを馳せました。
結局、最後はみんな手に持った色紙を捨てる事になります。この最後がなにもないのが悲しくて、しかし考えさせます。
こんなふうにいくつかのエクササイズを行なっていくのですが、このようなことをとおして、ボランティア同志の気持ちも自然に通じ合ってきたように感じます。
 ボランティアの仲間たちは本当にみな個性的です。その幾人かを紹介しましょう。医学生のキムはこの講座の後、医学部にホスピス講座を導入しようとチームカンファレンスに出たり一生懸命だ。コンピューターの会社に勤めるジャネットはとても声がきれいで患者さんに本を朗読したり歌をうたったりしてあげているという。すごい早口のマッサージ師のエリザベスは今度のミーティングでみんなにマッサージの仕方を講義してくれることになっている。ユダヤ人のレオはとても穏やかな人でみんなを包み込んでくれる。仏教徒とのジョアン。タオイズム(老子)が自分のバイブルだというリー。ニューメキシコから来たキャロル。みんなが違っている。しかしみんなどこかで共通している。月に一回ボランティアのミーティングがあり、その他にもいろいろ彼らに会う機会がある。

今、私は受け持ちの患者さんをもらい、週に一度ボランティアに出かけています。少し前に脳出血の発作を起こされた方なんですが、奥さんが教会に行く間お世話をしに出かけています。
この他にホスピスのスタッフについて患者さん宅をお尋ねすることも続けてます。今までに看護士のジャネットやサラやアイリーン、ソーシャルワーカーのマークやエド、チャプレンのキャロンなどに同行しています。たくさんの患者さんにも会い、チームの役割等についてなど、たくさん感じることがありますが、今回は紙面の関係がありますので、次回にそういったことを書きたいと思っています。


◆ホエール・ウォチング◆
こうしてスタッフに同行したり、カンファレンスに出たり、ボランティアしたりで結構忙しいのですが、楽しむことも忘れてはいません。
日本ではつい時間に追われるような気がしておりましたが、やはり気持ちのゆとりの大切さも感じています。週末に時間を見つけるとスノコールミーの滝を見に行ったり、レーニャ山の方まで車を走らせたりしています。
この前はマークとその友達と一緒にジョージ海挟のサン・ウォン島沿岸までホエール(鯨)・ウォチングに出かけました。

シアトルから少し北の方の港から、20人乗りくらいのボートに乗って、約2時間くらい鯨のいる辺りまでボートを走らせます。その日は10数頭が島沿いに群れていました。
この辺にいるのはオルカという種類で体長は鯨の中では小さめですが、それでも10メートルくらいはあります。オルカは通常200数十頭で大家族を作り、このあたりには3つの大家族が住んでいるということです。案内は自然保護家のアンさんという人がしてくれました。アンさんはこの辺にいるオルカ50頭くらいを識別できるということでした。
海面から1頭のオルカが飛び上がったとき「今、飛び上がったのは、年齢が41才になります」と教えてくれました。こんなことはあまりないそうですが、2頭のオルカが私たちの船の真下をくぐり、穂先のほうから潮を吹きながらその巨体を現したときにはなんだか感動をしてしまいました。

アンさんの話の中でとくに印象的だったのは、オルカは世界中に分布しているけれどそのグループによって違う言葉を話すということ。もし1頭が他のグループに入り込んだりするとコミニュケーションができないために非常にストレスを持つのだということでした。オルカは人間と同じ80才くらいまで生きて、人間の住むところのすぐ近くに住み、しかし人間の世界とは全く違った世界から長い間、人間の歴史を傍らでじっと見続けてきたのではないかという気がしました。戦争があったこととか、ボートの形がだんだん進化していくこととか・・・・。

船での行き帰りに、その数が激減して絶滅の危機に瀕しているという白頭鷲をみることができましたのはラッキーでした。


お伝えしたいことはたくさんあります。
ではまた